先日の記事にも書いたのですが
レイキをやっていくと
人にどう思われるかとか、そういう感覚に捉われることが減ってきました。
年齢のせいもあるかもしれません。
(いや、大いにあるでしょう)
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人の目が気になって、自分らしく振る舞えないという人は
多いのではないでしょうか?
夜寝る前に1日を振り返って
「あー今日あんなこと言っちゃって、あの人はどう思ったかな?」とか
「あの時あんな態度とって、薄情な人と思われたかな?」とか
気にして寝られなくなっちゃうんです!なんていう人も
よくご相談に来られます。
昔の私もそうでした。
私はどんなふうに人の目(人からの評価)が気にならなくなっていったっけな?
思い起こせば、何段階かの「気づき」があったような気がします。
気づきの段階
①他人は自分のことなんてそんなに見てない。気にしてもいないと気づく
「昨日は、なんか変なこと言っちゃってさ… ごめんね」
「え?なんのこと??」
「私 あの時にこんなこと言っちゃったじゃん?」
「え? そうだっけ⁉︎ ごめん聞いてなかった」
他人はそんなに私のことを見てないし聞いてもいませんでした(・∀・)
②「みんな」なんていないと気づく
みんなに白い目で見られそう という時の
みんなっていったい誰?
突き詰めて考えると
なんかそれもきっとマボロシだと気付いてきます。
③そもそも「私」もマボロシかもしれないと気づく
極端な話ですが、「この世は仮想現実かもしれない」という感覚が、リアルになってきました。
レイキの教義「五戒」では
「今日だけは」という言葉で、「今ここ」に集中するよう促されます。
今ここ、今この時の自分の思考を観察するようになると
「私」と思っているこの感覚さえ
私と少しづつ切り離されていきます。
この世界はゲームで、「私」というキャラクターを選択してプレイしている。
コントローラーを握っているのが本当の私なのか誰なのか
キャラクターである私には知る由もないですが
この世界はこういうゲームの中の世界かもと思えば
見られていると思っている私自身すらマボロシかもしれないので
ま、いいか と思えてきます。
少しくらいの失敗や
大ごとの失敗も
ま 大したことではない
かもしれない。
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コロナ期間を経て
みんなそれぞれ、自分が現実と思ってる世界を現実として生き始めたような気がします。
隣にいる人でも、家族でも
同じ次元の現実を共有しあっているわけではない。
そんな感じ
本当に 一人一宇宙て感じ
私が見ている赤色と
あなたが見ている赤色
同じ「赤」ていうてても
全然別の色に見えてるのかもしれない
でも確かめようもないし
確かめなくてもいいし。
同じ現実を見ながら
「とんでもないことが起きている!大問題だ!!」て言うてる人もいれば
「めっちゃ良い変化が起きてる』言うてる人もいる
そんな世界になってきました。
今や 人の目や評価を気にして
縮こまってるなんて 本当に意味無くなってきたなー
と感じる今日この頃です。